宮沢賢治と常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)

舞黒一太郎の優雅な電脳日記

   
目次 http://d.hatena.ne.jp/microititaro/20040911



 

 舞黒一太郎です。


 貧困に悩む東北の民の中で、金貸し業を営む宮沢家は裕福でした。彼の父は悪
人正機説(阿弥陀の慈悲は善人より悪人に注がれ、人はたとえ罪を犯しても、虚
心に懺悔すれば阿弥陀仏の慈悲によって救われる)を説く、熱烈な浄土真宗の信
者でした。しかし賢治は自分だけが幸せであることに罪悪感を持ち、浄土真宗
捨て、(山や川、草や木もすべて仏性を持って成仏する)という日蓮の「天台本
覚論」、法華経にひかれてゆきます。特に常不軽(じょうふけい)菩薩の生き方
に感銘を受けました。


 ●常不軽菩薩


 増上慢(正しい教えを得ていないのに得たと思い込んでおごり高ぶる者)の人
々が満ちあふれる時代に、一人の菩薩がいた。彼はどんな人をも拝んで「私はあ
なたを敬い、決して軽んじません。あなたはきっと仏様になるお方なのですから」
といった。遠くに人を見れば、その人のもとに駆けつけて同じことを告げた。「
馬鹿にしているのか」と人々は怒り、罵り、石を投げ棒で打ちすえようとするが、
その菩薩は決して怒ることなく身を避けて、なお同じことを述べ続けた。人々は
彼を「常に軽んじない者」ということで、常不軽菩薩と呼んだ。



 馬鹿にされても、暴力を振るわれても、決して怒りの心を起こさずに、あらゆ
る人々を尊敬し、どんな人のところにも訪れて正しい言葉を述べ続ける。この常
不軽菩薩の姿は、賢治の胸に深く刻まれました。「アメニモマケズ」の詩をもう
一度読んでみてください。まさに常不軽菩薩の生き方そのものではありませんか。


雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク 決シテ瞋(怒)ラズ イツモシヅカニワラツテイル
一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萱ブキ小屋ニイテ
東ニ病気ノ子供アレバ 行ツテ看病シテヤリ
西ニ疲レタ母アレバ 行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニソウナ人アレバ 行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクワヤ ソシヨウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ
サウイウモノニ ワタシハナリタイ


宮澤賢治