話し放題 携帯電話の誕生!

microititaro2005-03-18

舞黒一太郎の優雅な電脳日記

   
目次 http://d.hatena.ne.jp/microititaro/20040911



 ●安心して携帯で長電話!  格安定額携帯電話の誕生!


舞黒一太郎です。


 私は日本のユビキタスインフラで、華やかさこそないものの、最も人口カバー率が高いのは、DDIポケットPHSインフラであることを、くどいほど皆さんに申し上げてきました。その人口カバー率たるや現状で94%もあり、2006年末には99%、すなわちほとんどの人が使えるという、驚くべき数字が予定されています。



 なのにこれがPHS(国産技術)であるというだけの理由で、不当な低評価を受けておりますが、音質の良さは卓越しており、電波行政さえ見直せば、現状の携帯よりははるかに優れたものであるということを強調してまいりました。しかしほとんど耳を傾ける人もなく、昨年とうとう外資に買収されてしまいました。それがわが国にとっていかに重大なことかを考える時、この国の官庁、政治家、経済人の無能さに、ずいぶんと歯がゆい思いをいたしました。



 いまやインターネットと両立した携帯電話は、ITの中でも大きな地位を占めています。地方の産業、商店街が衰微する中、携帯電話取扱店が商店街で一番良い場所を占めていることにお気づきでしょうか。それは携帯電話の実質的マージンが極めて大きいからで、需要が若者から老人まで増えていることもあいまって、このような社会現象が起きているのです。その商法は、お得意様の機種変更料金は高く、新規申込者はタダといった極めて不条理なもので、それを支えているのが、べらぼうとも思える高額通話料金です。



 ADSLの普及によりIP電話(インターネット電話)を使う人が多くなり、系列プロバイダー同士であれば通話料が無料、それ以外でも従来とは比べものにならない安い料金で電話がかけれるようになってきています。ならば携帯でも同様なことが可能なはずと思われているかたも多いことでしょう。でもこのうまみのある既得権益を守りたい者にとっては、絶対に容認できないことでありました。



 しかしとうとう、その夢が実現するもようです。私はそれを実現する会社が、電力系の会社が行っていたPHS電話会社「アステイル」を譲り受けた、「庸山」だと思っていましたが、始めるのは文頭で述べた外資系会社となった旧DDIポケット、現「エッジ」です。「ウイルコム」という名称で5月1日よりスタートします。


 その内容はDDIのエリア内であれば、エッジのPHS電話を使うことにより、月額2900円の定額料金で、エッジの電話同士だと無料で「話し放題」となり、他の携帯、固定電話へも今よりは安い、1分26円弱の料金で通話出来るというもので、音質は今の携帯とは比べものにならぬほど明瞭、通話エリアも広く、待ちに待った商品の誕生と言えるでしょう。


 もちろん今はこの携帯端末がまったく普及しておらず、今の携帯でも家族割りなどを使えば料金はほとんど変わらないという指摘が出ると思いますが、月額2900円さえ払えば、「いくら話してもタダの携帯」があることを知った、貧乏な学生達の間から爆発的に広まるのは確実です。また価格が安いことから、セレブのセカンド携帯として、また企業における外商部門の画期的コストダウンも期待でき、この端末の加速度的増加が予想されます。


 また「エッジ」が行っている携帯端末によるパソコン接続事業も、スピード化、2900円等の定額化などが進めば、人口カバー率99%のインフラであることから、既存の無線スポットの大いなる脅威になるかもしれません。


 いずれにせよ携帯電話は老若男女を問わず生活の必需品となっており、この安くて話し放題携帯の登場は、またまた文化、生活様式の新しい変化をもたらすかもしれません。

日本を救った、日本人の三蔵法師の物語

舞黒一太郎の優雅な電脳日記

   
目次 http://d.hatena.ne.jp/microititaro/20040911



 ●日本を救った、日本人の三蔵法師


    空海最澄と共に唐に渡ったもう一人の名僧、霊仙三蔵(れいせんさんぞう)




  舞黒一太郎です。



 日本人でただ一人三蔵法師になった人、(霊仙三蔵)は、神功皇后を生んだ名門、丹生真人(にゅうまひと)である息長氏一族として、759年、近江の国、醒ヶ井の里、枝折(しおり)で生まれました。この地は、伊吹山の近くにあり、上丹生(かみにゅうま)の山の中腹で、松尾寺があるところです。


 この近く、滋賀県米原町、同多賀町にある霊仙山の上に役行者、小角(えんのぎょうじゃ、おづぬ)が開いたといわれる霊仙寺があり、加賀の白山で修行した泰澄によって大日如来が安置されていました。霊仙は幼名を日来弥(ひきね)といい、六歳の頃から十五歳頃まで、この霊仙寺及びその支院、松尾寺で修行し、十五歳(774)のころ、奈良興福寺へ入山、剃髪をして、興福寺僧賢憬に師事し、法相宗の教義を修行し、併せて漢語を習得したとされています。


 霊仙は修行中、夢の中に大日如来が現れ、その教えを学ぶためにはどうしても唐に渡らねばと決意します。しかしそのチャンスが訪れたのは,(804)年の遣唐使の時であり、霊仙はすでに四十五歳、当時としては晩年をむかえようかという年になっていました。


 霊仙が乗ったこの年の遣唐船には、最澄空海という、仏教史上もっとも有名となる二人の僧が同船していました。共に入唐しましたが、最澄はわずか八ヶ月、空海は三年で帰国しました。しかし霊仙は、憲宗皇帝の信厚く帰国を許されず、その後二十三年の長きにわたり在唐し、帰国はついにかないませんでした。


 有名な二人に比べ、無名の霊仙が、実はいかに優秀な人であったかということは憲宗皇帝が、僧の最高称号である「三蔵」を授与したことでわかります。三蔵といえば「孫悟空」で馴染み深い、あの玄奘三蔵を思い出しますが、僧としての最高位を示す称号であり、位を受けたあとは、霊仙三蔵(れいせんさんぞう)となりました。霊仙三蔵はただ一人の日本人、三蔵法師なのです。


 サンスクリット語で書かれた仏教原典を学ぶため、醴泉寺(れいせんじ)においてインドから入唐していた高僧般若から、空海と共にサンスクリット語を学び、教典研究を行っていました。空海はその後恵果のもとへ去りますが、霊仙はそのまま研究を続けていました。その後皇帝に命じられて、般若三蔵を中心とする八人の高僧に選ばれ、般若とともに未漢訳のまま皇室に保管されていた経典“大乗本生心地観経”の漢訳を行うことになりました。般若がサンスクリット語で音読し、霊仙が漢語に訳していくのです。この間、事業の途中で般若三蔵が使節として、インドのカシミールに派遣されてしまうというハプニングがあったのですが、霊仙の努力により無事完訳出来たのです。この訳経の功によって般若と共に三蔵の称号を贈られ、更に、皇室の仏事を勤める内供奉十禅師(ないぐぶじゅうぜんし)の一人として、国家鎮護という重要な役を果たすことになりました。



 はからずも唐の国の中枢部分に入ることになった、霊仙三蔵は、そのうち、太元明王(だいげんすいみょうおう)を本尊とする、太元帥法(だいげんすいほう)という密教大秘法を修得しました。



 太元明王は梵名をアータヴァカといい、原義は「曠野鬼人大将」の意で、林にすんで子供を食い殺す悪鬼でしたが、仏の教化によって国土を守護する明王となった人です。東密では伝統的に「たいげんみょう」と読み、これを本尊にとする太元帥法(大元師法)は、法力により兵乱・賊難を鎮圧する怨敵降伏・護国を実現する秘法です。

  

 霊仙三蔵は望郷の念やみがたく、また自分の学んだものを日本に伝えるべく、憲宗皇帝に帰国をたびたび願い出ますが、その学識を惜しみ、またその知恵が国外に出ることを怖れた皇帝は、その帰国をどうしても許しませんでした。


 
 しかし唐朝の勢力は衰え、八百二十年に憲宗皇帝が、暗殺されるという事件が起き、その結果反仏教派の力が強くなっていきました。霊仙三蔵はいつしか追われる身となり、渤海に近い、山海省、五台山に住むようになります。渤海国は日本との交易を行っており、日本と唐には渤海経由の三角交易ルートが存在していました。霊仙三蔵はこの地で日本の臭いをかぎ、自分の持っているすべてを日本に伝えるべく、さまざまの努力をはじめます。


 比叡山延暦寺の僧「円仁」が承和五年(838)遣唐使の船で入唐し、(840)に五台山をおとずれ、『入唐求法巡礼行記』でに霊仙三蔵の五台山における行跡を記しています。その中で霊仙三蔵の弟子応公に従っていた渤海国の僧、貞素が、七仏教誡院の壁にかけて残した板書の「哭日本内供奉大徳霊仙和尚詩並に序」を見付けた内容があります。それによると



1,貞素は弘仁十三年(822)、五台山の霊仙三蔵が日本国天皇に宛てた留学資金を要請する書を嵯峨天皇に届けた。



2,嵯峨天皇は、その要請に答えて金百金を貞素に預け、貞素は五台山に戻り、霊仙三蔵に渡した。



3,霊仙三蔵はその返礼に、仏舎利と経典二部(一部は心地観経)を貞素に託した。



4,長慶五年(825)、貞素は再び日本に渡り、淳和天皇に届けた。



5,貞素は天皇から再び預かった金百金を持ち、大和二年(828)四月七日、五台山鉄勲寺に戻り、霊仙三蔵に渡そうとしたが、霊仙三蔵は既に暗殺されていた。(大和元年827)



 霊仙三蔵は嵯峨天皇とのやりとりで、かって般若のもとで共に学び、帰国した空海のその後の活躍を知ります。もし自分の帰国がかなわぬなら、自分の持っているものを日本に伝えるべく、法具と教えを弟子に託します。その予感は不幸にもあたり、八百二十七年、なにものかの手によって毒殺されました。享年67才でした。


 その後、空海の弟子の一人である、山城国小栗栖の法琳寺の僧常暁が、不思議な因縁でこの太元帥法と法具を日本に持ち帰ることになります。霊仙三蔵は教えと法具を、日本から僧が来たら渡せと遺言していたのです。


 常暁は承和六年(839)帰国し、霊仙三蔵の遺言どおりこの秘法を宮中に伝えました。それ以来宮中では国難にあたった場合、鎮護国家の秘法としてこの「大元帥法」がおこなわれるようになり、驚くべきことにそれは昭和二十年、太平洋戦争末期まで続きました。


 平将門の乱を鎮めたり、北条時宗の時代の蒙古襲来のおり、攻めてきた元の船団が、神風によって沈められたりしたのは、すべてこの太元帥法によるとされています。日本を救う神風を起こした大元帥法を日本にもたらした人は、空海最澄とともに唐に渡り、日本人ただ一人の三蔵法師となった、(霊仙三蔵)でありました。

アインシュタインと般若心経

microititaro2005-03-02

舞黒一太郎の優雅な電脳日記

   
目次 http://d.hatena.ne.jp/microititaro/20040911



 ●アインシュタインと般若心経


  舞黒一太郎です。


 前の文章で、般若心経の「空(くう)」を、本来の意味の「ゼロ」として解釈しなおしてみると、人を救う道が、従来のものとはやや違った切り口で浮かび上がると述べました。これはアインシュタイン博士の持論であった「私は宗教的な人間で、宗教的な雰囲気は好きなのであるが、神の存在は認めていない不信者である = religious unbeliever」の境地とよく似ています。



 数字のゼロは、いくらゼロを足し引きしてもゼロです。つまり力がないものがいくら集まっても何も役に立ちはしません。
 逆に実体のある数字にゼロをいくら掛けても、ゼロのままです。力のあるものが力のない者と組んでも、なにももたらしはしません。
 またいかに大きな数字であっても、分子がゼロであるならばゼロのままです。どのように優秀で大きな集団であろうとも、抱える指導者の能力がゼロに近ければ、なにもできはしないということです。
 ところが小さい数字、かりに1であっても分母が限りなくゼロであれば、それは無限の大きさとなります。つまり限られたものであろうと、分配する集団、もしくは要求が小さければ、すべてを満足させることが可能となります。


 生まれた時も一人、死ぬ時も一人であり、ゼロからゼロになるだけです。唯物的な神や仏はなく、あるのは、真実という大自然の掟があるだけです。人間の命は朝露ほどにはかなく、死への恐れから心が乱れ、なにかに縋りたい気持ちとなりますが、なにかにたよって人の求める桃源郷へは行くことは出来ません。


 仏教の宗教家は、人間としての最大の幸福は。お金でも、名誉でもなく、「成佛」することと説きます。「そこには御仏をはじめ、先祖、友人がおり、仲良く、何不自由なく暮らすことの出来る。人間として成佛出来ることほど素晴しい幸福はない。そのためには雑念、邪悪な他の宗旨を捨て、わが宗派に帰依し、すべてを捧げよ。さもなくばさまざまの悪、災難が押し寄せる、言い換えれば、もし貴方の廻りに悪事、災難が押し寄せているのであれば、わが教えに従えばたどころに消散する」と言います。そして桃源郷の素晴らしさと、成仏へのノウハウを教えてくれるのです。


 しかし般若心経ではこの全てを否定し、悟りの境地である彼岸を目指すものは桃源郷への約束手形の成仏ではなく、感情的なものを廃して真実を見つめ、真実を知り、ものの哀れをわきまえて生きることこそ大切だと述べているのです。いかなる富を得ようとも、いかなる力を持とうとも、それ自体に意味はなく、そんなものはすぐに無くなるものであり、また少しの蓄えであっても、多くの人を救うことが出来ることを述べており、「今を生きている人」に物心(仏心)にわたる生活方法を教えています。その悟りの境地を「彼岸」と呼ぶことにし、これを知り、実践し、みんな、みんな、共に彼岸へ行こうと述べているのです。

空とゼロ 般若心経を再考する

microititaro2005-02-27

   舞黒一太郎の優雅な電脳日記

   
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 ●般若心経の空の解釈について


  舞黒一太郎です。


 南インドアンドラプラデッシュ州の州都ハイデラバードから東へ70キロほど行ったところにナーガルジュナ・コンデと呼ばれる聖地があります。ナーガルジュナは人名で、インド、中国、日本を結んだ仏教理論家、龍樹その人です。その生涯は二世紀から三世紀にかけての時代、ヒンズー教が全盛を迎える以前でありました。


 龍樹の理論の神髄は「空(くう)とはなにか?」ということにあります。悟りの極限境地である涅槃、ニルヴァーナは空である、ということはなにを指しているのかというと、有に非ず、無に非ず、とは何ものでも「無」でさえもない、ということを説き、これが般若心経でいう「空」の基本解釈とされてきました。仏典をインドから中国へ伝えたのは西遊記玄奘三蔵が知られていますが、龍樹の空の理論を中国へもたらしたのはクマーラジーヴァ、鳩摩汁(くまらじゅう)(四世紀半ばから五世紀)でした。


 ところで龍樹の説いたサンスクリット語で「空< シューニャSunya>」は、ゼロの意味でもあるのです。語義は膨らんだもの、あるいは膨らむことであり、記号ゼロの縦型楕円は「空に膨らんだもの」を指し示しています。
 

 空海遣唐使として入唐した時、醴泉寺のインド僧、般若三蔵や牟尼室利三蔵に師事しサンスクリット語バラモンキリスト教までも学ぶことが出来ました。彼等は当時の世界でも最高の知識人であり、空海梵語の経本、『大広方仏華厳経』『大乗理趣六波羅蜜経』『守護国界主陀羅尼経』『造塔延命功徳経』などの新訳経典などを授与されています。この際「般若心経」の中にある(空)についての議論が当然なされたはずで、私は空海こそ真の般若心経の理解者と推測しています。


 そもそもゼロを見出したのはインド人で、インドからアラビアに伝わった「ゼロ」(インドのサンスクリット語ではシューニャ)は、アラビア語と中国語では sifr スィフル「空(くう)」と翻訳されましたが、厳密な意味で「ゼロと空」は意味が違います。中国にはゼロの概念がなく、やむなく「空(くう)」とされていたのです。

 
 数字のゼロは、いくらゼロを足し引きしてもゼロです。つまり力がないものがいくら集まっても何も役に立ちはしません。
 逆に実体のある数字にゼロをいくら掛けても、ゼロのままです。力のあるものが力のない者と組んでも、なにももたらしはしません。
 またいかに大きな数字であっても、分子がゼロであるならばゼロのままです。どのように優秀で大きな集団であろうとも、抱える指導者の能力がゼロならば、なにもできないということを知るべきです。
 ところが小さい数字、かりに1であっても分母が限りなくゼロであれば、それは無限の大きさとなります。つまり限られたものであろうと、分配する集団、もしくは要求そのものが小さければ、すべてを満足させることが可能となります。


 般若心経の「空(くう)」を、このように本来の意味の「ゼロ」として解釈しなおしてみますと、人を救う道が、従来のものとはやや違った切り口で、見えてきます。

冷えを取って健康を取り戻そう

microititaro2005-02-26

     舞黒一太郎の優雅な電脳日記

   
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 ●冷えを取って健康を取り戻そう  温熱療法のすすめ


  舞黒一太郎です。


 世間ではあまり知られておりませんが、冷え性や腰痛のある方におすすめの治療ポイントについて述べてみましょう。経絡は足の裏まで通じ、人間の身体は血液、リンパ、ホルモン、気など様々なものが流れています。「身体の不調部位」は流れが悪いため、冷えています。この冷えが正常細胞から活力を奪い、自然治癒力を大幅に低下させているのです。


 ガンで患っている人を始め、重い病にかかっている人達に共通していることは、体温が低いことです。冷えることによって免疫機構が低下します。人間の体温が0.5℃低下すると、免疫力は35%低下すると言われています。つまりもともと36.5℃あった体温が35℃台に下がっているということは、免疫力は6割以下にまで低下していることを知っておくべきでしょう。


 もっと問題なのは、体の各部分の温度に大きなバラツキがあることです。体の悪い部分と、その反応点(つぼ)の温度は低くなっています。この事実を認識することにより治療方法が見えてきます。つまり治療によりバラツキを解消、均一化することと、体温そのものを上げるという二つを実現することです。


 寒いと思う時や、手足が冷たい時、すぐ暖まる方法といえば、冷たい部位である手足を直に温めればよいと思われる人がほとんでしょうが、実は違います。答えは次の3点です。冷え性のみならず、腰痛、高血圧などに効果があり、やりかたはごく簡単なことなので、覚えておかれればきっと役に立つはずです。


1,首まわりにマフラー、毛皮などを巻く。(行儀の良い猫と寝てもよい)
2,太腿の表の部分を温める。
3,肩を温める。


 1の首廻りを温める方法はごく簡単ですので説明は省きます。


 2の太腿の表を温めるということはほとんど知られておりませんが極めて有効です。この部位のつぼはほとんど解説されていませんが、私はこの部位のつぼを重視しています。それはここがお腹の内臓の反応点であるからです。この部位を温めることにより手足ばかりか、お腹が温たまります。したがって冷えの解消ばかりか、胃腸など内臓系の不調に卓効があります。


 夏場のクーラーで寒いからといって膝掛けをしている人がいますが、それだけでは効果は期待できません。その理由はひざかけ布内の温度が、その人の体温以上には上がらないためで、加温できる電気毛布や、腰湯が有効です。お風呂では足湯が有名ですが、本当は太腿がつかる腰湯のほうが効果があります。もちろん通常の全身入浴がベストですが、長湯ではのぼせてしまいますのでその中間の腰湯が適当ということになります。


 ホットパックも良いのですが、当てる部位面積の大きいものでないと効果ありません。


 また旅行の多い人は寝るときに、下半身だけいつものパジャマを持参し、穿いて寝るようにすれば、体調が万全となりますので是非おためしください。



 3の肩を温めるにはベストのような薄いものでなく、綿入れをした「ちゃんちゃんこ」のように保温効果の大きいものが有効です。このベストにも充電式温熱ヒーターを内蔵したものがあり(松下製)、42℃をキープできるようになっています。本来はアウトドア用のものですが、肩の温熱療法に使用出来ます。五十肩の方はとても楽になります。



○温めて治す温熱治療法


 温める治療法としては、不調の部位に500円玉大の面で加熱する温熱器を使って治療する温熱治療法があります。三井温熱療法や琉球温熱療法、びわ葉温熱療法などがこれにあたり、この温度は30℃から60℃くらいまで可変できるようになっています。これを少し熱目にして反応点付近や患部にあてると飛び上がるように熱く感じます。温熱器から伝わる熱は必然的に温度の低いところに流れ込むため、このように熱くまたは痛く感じるのです。
 この熱に対して特別に敏感なところは、血流が停滞しているところであり、筋肉が疲労して老廃物が毛細血管の中につまったり、病原体と闘った結果にできた細胞の破壊物が血行を妨げたりしていると考えられます。
 そこに熱刺激、びわ葉、もぐさエキス、にんにくエキスなどの治療エキスを加えることで、阻害物質が血液やリンパ球に取り込まれて移動し、冷えやコリがおさまると考えられます。


 またハンダ鏝の原理で作られている、電子灸というものもあります。電子灸は通常のお灸のようにプチやけどにならないよう工夫されており、ツボさえ間違えなければ従来のものと同様な効果があります。


 その昔、何もないとき腹痛などの症状に卓効があった「たばこ灸」というものを知っている人はほとんどいなくなりました。今考えるとちょっと怖い気もしますが、伝説の温熱治療であり、それをドライヤーで代用する、ドライヤー灸をおこなっている人もいます。



 半身低温サウナも極めて有効です。現代人はクーラーの発達により、ほとんど汗をかかなくなっており、このサウナ(20〜50万円程度)を使い、20分ほどの寝たままで行うラクラク治療です。低温サウナといえば昔はなかなか暖まらない、汗が出ないと悪評プンプンでしたが、これは以前のような全身を入れるボックス型ではなく、半身のみが入るドーム型となっています。20分で自分でも信じられない汗が出ます。その補充の水分の中味を吟味しなくてはならなくなりますがが、汗により今までおしっこ以外に排出できなかった体の老廃物が出て行くわけで、温熱効果も含め、最強の温熱療法と言えるかもしれません。


 最後にコストパフォーマンスの点から、私のお薦めする方法をご紹介しましょう。それは松下電工の世界初のスチーム式足浴器《スチームフットスパ》を使う方法です。この商品は上代で3万円以下、一見足湯器具のように見えますが、足湯ではなく、スチームにより足裏から太腿まで暖められる「腰湯」と同様効果が得られる優れものです。冷えで悩む人の多くは、半身浴・靴下・厚着・カイロなど普通の冷え対策方法では身体の芯まで温まら ない、すぐ冷える、めんどう、といった不満を持っていますが、これを使えば従来なかなかあたたまらなかった手の先までしっかり温まるどころか、そのぽかぽか感が長持ちすることに驚かれることでしょう。


 その操作といえばコップ1杯分の水(約100mL)を入れるだけなので、準備や後始末の手間が省け、後片付けは中を拭くだけです。お湯式のように重いお湯を入れたり捨てたりする手間が省け、リビング・個室で、テレビや読書をしながら気軽に使えます。またこの水にハーブ、生薬、にんにく、よもぎエキスなどを混ぜることにより、その蒸気の有効成分が各部のツボから吸収されますので一層の相乗効果が期待出来ます。

ライブトアとフジテレビ もう一つの戦い

microititaro2005-02-25

舞黒一太郎の優雅な電脳日記

   

          目次  http://d.hatena.ne.jp/microititaro/20040911



 ●ライブトアとフジテレビ もう一つの戦い
     新しいメデイアへの移行についての考え方の相違について


  舞黒一太郎です。


 なにかと話題のライブドアの堀江氏だが、放送界が力を入れるデジタル放送にも手厳しい。20日放送のテレビ朝日の番組「サンデープロジェクト」に出演し、「放送局はデジタル化に投資したり、BS放送局をこんなに作りましたが、多分必要ないんですよ。アナログ放送にインターネットつなげば同じことできるんですから」と話した。


 フジテレビジョン日枝久会長は21日朝、「テレビ局は既にネットビジネスはやっているし、デジタルへの切り替えはみんな苦労してやっている。テレビと通信の融合は何年も前から放送界では言っていること」と不快感を隠さなかった。



 地上デジタル放送は2004年から総務省の肝入りで、東京、大阪、名古屋の3大都市圏でがスタート、それを徐々に全国に広げ、2011年1月にはいまのアナログ放送をすべてやめて完全にデジタル化する。


 新しい放送を見るには、最新の対応型テレビかチューナーを買わなければならない。なぜ買い替えを強いてまでデジタル化するのか。総務省はこう説明する。


 地上デジタル放送では高画質のハイビジョンが楽しめる。電話回線などと併用することで、パソコンができない人も双方向の通信が利用できるようになり、家庭のテレビがIT社会の基盤になる。使う電波の周波数はアナログより大幅に減らせるから、空いた分を携帯電話などにまわせる……


 しかし現実に対応テレビは高価であり、経営の苦しい地方局にとってデジタル化の投資は重荷になっている。もっと問題なのは新しいシステムを導入するため、国が今家庭にあるすべてのアナログテレビを使えなくするという強硬手段を取ったことである。


 デジタルテレビには「高精細化」または「多チャンネル化」を目指して開発された。「高精細化」ではNHKがハイビジョン(アナログ)を世界に先駆けて開発した。日本のハイビジョンに脅威を感じたためアメリカ政府はデジタルハイビジョン規格「ATSC」が決めた。郵政省はアナログ方式に限界を感じデジタル化を決断、BSデジタル規格によりハイビジョン放送が始まった。
 また「多チャンネル化」ではディレクTVが衛星テレビをデジタル化によりチャンネル数をケーブルテレビ並みにそろえたため急速に普及した。


 しかしとどまることのないインターネットを中心とする新しい技術の発展は、このデジタルテレビを過去のものとしようとしている。テレビの画像は細い線(走査線)に分解されて送られ、それは標準テレビで525本、ハイビジョンでは1125本ある。そのためハイビジョンがきれいとされているのであるが、今では、5000本級の映像システムも出来上がっている。走査線は増やすほど精細度が増し、5000本になると画面の内外の区別がつかなくなるほど鮮明になる。つまり「高精細化」の点ではハイビジョンは過渡的段階レベルなのである。


 また「多チャンネル化」については、インターネットTVならばケーブルテレビどころではなく、数千、数万レベルの「多チャンネル化」が可能であり、放送コストは百分の一以下にすることが出来る。


 またインターネットTVは電波を使わないので、官による制約の多い電波法に触れることがないためで、現在のTVが使っている電波をすべて、携帯などにまわすことができる。


 また山の多い国土にたくさんの鉄塔を建て、全国でテレビを見られる態勢を作り上げたインフラを、そっくりデジタルに置き換えるのは大変な作業と費用がかかるが、その必要はなくなる。


 また放送局内の新しいデジタルインフラ整備にも多額の費用がかかる。


 デジタルテレビを全ての面で凌駕するインターネットTVの実現は、高速なブロードバンドインフラの整備にかかっている。それさえ実現すれば、どこでもこのメリットを享受することが出来る。それはどこであっても同じハイスピードが保証される光ファイバーが中心となり、そのスピードは現在は100Mであるが、その10倍の1000Mタイプもすでにさまざまの場所で試験運行がなされている。


 国、放送業界あげて取り組んでいるデジタルテレビは過渡的インフラなのだ。デジタルテレビはインターネットTVと違い、電波法の規制はそのまま継続できるため、規制を続けたい官にとっては都合がよいのは事実だ。しかし日本のブロードバンドを促進したADSLが、国産技術のISDNに固執したNTTの抵抗により韓国に遅れをとったことを思い出してほしい。国民が持っている、今のテレビを使えなくしても実現しようとしているデジタルTVの実態は、かくも中途半端なものでしかない。


 よいものであれば必ず需要が出て普及する。いらぬ政府のお節介は百害あって一利無しだ。このたびのライブドアとフジテレビを中心とするフジサンケイグループの争いの裏には,プロ野球新規参入で見せた、読売新聞社主の渡辺氏の表向きの「反対」と同種の問題が存在している。既存利益を守ろうとする勢力が全力をあげ、押し寄せてくる波に強固な砂の砦を築き、抵抗しているように見えるのは私だけだろうか。かりにライブドアという波をかいくぐっても、次々に大波小波はやってくる。


絶対の狭間の中で  鉄板レースの面白味

microititaro2005-02-18

           舞黒一太郎の優雅な電脳日記
   
          目次  http://d.hatena.ne.jp/microititaro/20040911


 ●絶対の狭間の中で  鉄板レースの面白味


舞黒一太郎です。


 中央競馬1月10日の中山10R、新春賞三連単814,930円の大万馬券が出現しました。100円が81万4千円にもなったわけです。当然勝利した人はごく少数であり、大半の人はあまりの高配当に「これじゃしょうがねえや」とスッパリあきらめたことでしょう、しかし三連単ではなく、逆に一点て大勝負に出て結果は敗北、肩を落としていることを知っている人はほとんどおりません。


 このレースを顧みてみましょう。人気順位とオッズを上げてみます。

 
 1番人気   5    1.5
 2番人気   4    4.5
 3番人気  10   10.8
 4番人気   6   11.6 
 5番人気   9   19.7
 6番人気   7   29.7
 7番人気  14   36.0
 8番人気   3   39.2
 9番人気   8   69.5
10番人気  11   74.3
11番人気  12  121.0
12番人気   1  156.0 
13番人気   2  188.9
14番人気  13  209.8


 このレースがなぜ勝負レースなのかを説明する必要があります。それはある競馬研究者が私に、その人のノウハウをパソコン化することの代償として教えてもらった秘法の一つなのです。公開すると、秘法が秘法となくなると言いますが、もうかなりの人が実践しておられるようなので、この際公開することにしましょう。


 オッズ1番人気が1.6倍以下の馬の連対率(二着以内)は80%近くもあり、3番人気のオッズが2番人気のオッズの2倍以上あれば,1番人気と2番人気の一点買いで勝負するというものです。この例の場合1番人気の単勝オッズは1.5倍で1.6以下であり、3番人気オッズは2番人気オッズの軽く2倍以上ありますので、このレースはその対象となります。
 強気の人は馬単(5.2倍)で勝負、普通の人は馬連(3.4倍)、弱気の人はワイド(1.7倍)を選択します。


 一般的に考えると馬単はリスクが大きく、ワイドは小さいとされていますが、それは間違っています。リスクは同じです。人はまさにそれぞれですが、それを承知した上で、私は中庸の馬連を選びます。


 1番人気、2番人気の一点買いはもともと購入者が多く、そのため購入金額が少々多くてもオッズ変動は少なく、この例の場合のように1番人気のオッズが極端に低く、2番人気と3番人気のオッズ差が大きい場合は、それが特に顕著化します。当然オッズは低いのですが、1点という、効率としては一番よい投資方法だけに、リターンは大きく、この数少ないチャンスを待って大金で勝負をかけてくる人が存在しているのです。


 しかしこの二強が飛べば,高配当が出現することになります。三連単814,930円という超高配当は、二強が飛んだ上、さらに人気薄の二頭が絡んだから出現した例です。(絶対が飛ぶ)と実においしい局面が現れます。(絶対は絶対ではなく、出現確率は低くとも、小が大となる絶好のチャンスなのであり、またとない一攫千金の場)ということになります。


 三連単ではどうしても購入点数が多くなり、買い目をいかに絞るかが一番の問題となります。そこですぐ目がいくのが1番人気、2番人気の連対率の高さです。1番人気、2番人気を軸で購入すると、的中率こそ上がりますが、肝心の回収率はさっぱりのはずです。しかし1番、2番人気を外すと、的中率が極端に下がり、当たった場合、少々高配当が出ようと、多点買いの弊害から、回収率はさっぱりあがらず状態になってゆきます。 そこで三連単の高配当をめざす場合、1番人気のオッズの低いレースは見送りにする、はずすという戦略をとりがちとなるのですが、それは(常識のワナ)にはまることになり、この例のような高配当馬券を取ることは出来ません。


 (鉄板レース)は1点投資、馬単、三連複、三連単、さまざまな投資法にとって,さまざまの意味で(おいしいレース)なのです。


三連単買い目計算 http://blog.livedoor.jp/sin1100/afe60c98.html
※投資の法 http://d.hatena.ne.jp/microititaro/20050103
※SP23 http://homepage2.nifty.com/microititaro/SP23.htm