空とゼロ 般若心経を再考する
舞黒一太郎の優雅な電脳日記
目次 http://d.hatena.ne.jp/microititaro/20040911
●般若心経の空の解釈について
舞黒一太郎です。
南インド、アンドラプラデッシュ州の州都ハイデラバードから東へ70キロほど行ったところにナーガルジュナ・コンデと呼ばれる聖地があります。ナーガルジュナは人名で、インド、中国、日本を結んだ仏教理論家、龍樹その人です。その生涯は二世紀から三世紀にかけての時代、ヒンズー教が全盛を迎える以前でありました。
龍樹の理論の神髄は「空(くう)とはなにか?」ということにあります。悟りの極限境地である涅槃、ニルヴァーナは空である、ということはなにを指しているのかというと、有に非ず、無に非ず、とは何ものでも「無」でさえもない、ということを説き、これが般若心経でいう「空」の基本解釈とされてきました。仏典をインドから中国へ伝えたのは西遊記の玄奘三蔵が知られていますが、龍樹の空の理論を中国へもたらしたのはクマーラジーヴァ、鳩摩汁(くまらじゅう)(四世紀半ばから五世紀)でした。
ところで龍樹の説いたサンスクリット語で「空< シューニャSunya>」は、ゼロの意味でもあるのです。語義は膨らんだもの、あるいは膨らむことであり、記号ゼロの縦型楕円は「空に膨らんだもの」を指し示しています。
空海は遣唐使として入唐した時、醴泉寺のインド僧、般若三蔵や牟尼室利三蔵に師事しサンスクリット語やバラモン、キリスト教までも学ぶことが出来ました。彼等は当時の世界でも最高の知識人であり、空海は梵語の経本、『大広方仏華厳経』『大乗理趣六波羅蜜経』『守護国界主陀羅尼経』『造塔延命功徳経』などの新訳経典などを授与されています。この際「般若心経」の中にある(空)についての議論が当然なされたはずで、私は空海こそ真の般若心経の理解者と推測しています。
そもそもゼロを見出したのはインド人で、インドからアラビアに伝わった「ゼロ」(インドのサンスクリット語ではシューニャ)は、アラビア語と中国語では sifr スィフル「空(くう)」と翻訳されましたが、厳密な意味で「ゼロと空」は意味が違います。中国にはゼロの概念がなく、やむなく「空(くう)」とされていたのです。
数字のゼロは、いくらゼロを足し引きしてもゼロです。つまり力がないものがいくら集まっても何も役に立ちはしません。
逆に実体のある数字にゼロをいくら掛けても、ゼロのままです。力のあるものが力のない者と組んでも、なにももたらしはしません。
またいかに大きな数字であっても、分子がゼロであるならばゼロのままです。どのように優秀で大きな集団であろうとも、抱える指導者の能力がゼロならば、なにもできないということを知るべきです。
ところが小さい数字、かりに1であっても分母が限りなくゼロであれば、それは無限の大きさとなります。つまり限られたものであろうと、分配する集団、もしくは要求そのものが小さければ、すべてを満足させることが可能となります。
般若心経の「空(くう)」を、このように本来の意味の「ゼロ」として解釈しなおしてみますと、人を救う道が、従来のものとはやや違った切り口で、見えてきます。