帽子の神様 1

microititaro2005-01-18

舞黒一太郎の優雅な電脳日記

         目次  http://d.hatena.ne.jp/microititaro/20040911


 


 舞黒一太郎です。


 いまの学校になくて、昔の学校にあったものなーんだ?。のっけからクイズで申し訳けないが、その答えは(帽子)だ。なんでも制約を嫌う最近の風潮から、学生服を制服から自由服にする傾向はますます増えており、わずかに残った制服採用の学校であっても、帽子をかぶる学生はほとんどいなくなってしまった。つまり八百八万の神のなかで、今、もっとも肩身の狭い神様が(学生帽の神様)なのである。


 神様は人間世界の勝手さに心から腹をたてていた。粗末にされるどころか、住み込む帽子がなくなってしまい、今日の宿すら困るようになってしまっている。いま神様が住んでいるのは、山口学院高校3年の山本聡の帽子である。山口学院は山口で一番の私立男子進学高であり、数少い制服着用校であるが、全生徒1200名の中、帽子着用者は彼一人なのである。


 なぜ彼が帽子にこだわっているかはさだかでない。ただ相当な反骨精神の持ち主であることは確実だ。しかしその彼も、高校3年生、あとわずかで卒業である。そのため神様も落ち着かない日々を送っている。彼が帽子のある大学に行き、そこでかぶり続けてくれるなら、言うことはない。とにかく困るのは浪人になることである。浪人には制服がないため帽子はない。したがって神様にとって彼の浪人生活は絶対に容認できないことなのである。



 ところがだ。問題なのはの彼の試験への態度だ。地方とはいえ山口での一番の進学校に在籍しているくせに、3年生の11月まで演劇部の中心人物として活躍しているという奴なのだ。センター試験まであと2ケ月しかない。なのに彼にあせりの態度はさっぱり見られない。余裕泰然で、好きな音楽鑑賞やテレビも抑制している風はみられない。神様のあせりは頂点に達してきた。[こいつの頭の中はどうなっているのだ。]だが神様にわからないことを凡人がわかるわけはない。



 その頃、さらに神様を不快にする、事態が起こっていた。山本家にはミーという猫がいるのであるが、このミーが神様の居場所であるこの帽子を気に入ったようなのだ。この猫、ご主人の修治さんがお間抜けなことに、出産前なのに、子猫と間違えて拾ってきたという、いわくつきの由緒正しい、真っ黒なメス猫である。このことをもってご主人の洞察力には大いに疑問があるのであるが、このミーが神様の神聖な領域を、臆面もなく堂々と占領し、ぬくぬくと帽子の上に座り込むのだ。さすがに6年も使い込んでいるだけあって、帽子はことのほかミーの体になじむらしい。神様の怒りは頂点に達したが、不幸なことに、神様の唯一のにがてな動物が猫であった。 


 神様は考えた。[このままこの家にいるかぎり、くそいまいましいミーの奴から逃れることはできない。となると、どうなるにせよ聡を山口以外の所に出し、ともかく制服のある大学へ現役入学をさせなければならない。ところがかんじんの聡の希望大学は、こともあろうに身の程知らずもいいとこの東大と慶応、日本でも最難関大学だ。普段の成績、勉強態度からして普通の方法では合格は難しい。それに試験までたった3ケ月しかない。[どうしよう]神様は本当に困った。



 聡の母、栄子さんは聡が苦手だった。とにかく奴はうるさいのだ。たとえば買い物に行ったとき、なにかを買おうとすると、その商品をもっともらしく理屈をつけて徹底的にこき下すし、今それが不要不急のものであることを力説してくれる。つまり徹底的にケチをつけて買わせない。たとえそれが1000円の品であってもだ。だから通常の買い物ならまだしも、海外旅行に行った時などは、買い物好き栄子さんにとって、悲惨きわまりない状態が待っている。


 また一生懸命作った料理についての辛辣な批評を、有り難いことに毎日してくれる。まず米にうるさい。彼ご飯の合格基準はたきたてであり、かつ米が十分膨らんでいることなのだ。言うはやすいが、昔のかまど時代ではあるまいし、スーパーで買ってきた米を、電気炊飯機で炊いていたのでは絶対に不可能な要求である。
 しかたなく栄子さんは農家と契約し、自家米をわけてもらい、必要量を近所の無人精米機でつき、朝と夜二回炊いている。つきあいの広い栄子さんにとって朝夜たきたてご飯を作るのはじつに大変なことだ。それを知ってか知らずか、無理難題をふっかける聡の奴は、まことに態度がでかく、デリカシーにかける無理無理大王そのものである。


 また彼は食前にまず今日の料理を一見し、自分の食べる飯の量と、おかずの量を計算し、ちょうどきれいに食べつくすことが彼の食事美学なのだ。だから他人であってもその道をはずれている者、すなわち食べ残しを極端にきらう。なぜならお百姓さんに失礼であり、作った人に失礼であり、料理そのものに失礼であるからだ。 彼の食べた焼き魚のあとは見事である。おそらく核戦争の後の焼け野原のように、なに一つ残っていない。さぞかし魚は満足して成仏することだろう。


 神様の不安は一層募るばかり。帽子の神様なのに、頭が痛む日々が続いた。