風を切る手がつかむもの

舞黒一太郎の優雅な電脳日記

   
目次 http://d.hatena.ne.jp/microititaro/20040911



 


 舞黒一太郎です。


 風を切る手がつかむもの


風を切る手がつかむもの
刹那(せつな)の時ではありしかど
真(まこと)のこころを捕らえたり
虚実のこの世に唯一つ
人の最後の灯火の
希望の光に蝕したり


今の、いつもの環境から抜け出て、たまには手で風を切ってみるのです。
なにか、つかめましたか?


空を切った気持ちのよさはあるのだけれど
そこには やはりなにもなく
空(くう)があるだけ 風が吹いているだけです。


新しい風に触れ、自らの手で、風を切ってみて、その感じを大切にする、、、
それでよいのです。
それでなにもなくても
あなたの体と心は
もうリフレッシュできてます。



空と西本願寺、大谷門主の話


 国家的大事業の西域探検を、西本願寺という一教団で行った大谷探検隊、浄土
真宗、第二十二代門主(大谷光端)は、(仏道による、さまざまな煩悩に苦しめ
られる境涯からの解脱)を目指した人でありました。したがってこの世の幸せ追
求は小さい喜び、来世での幸せ追求こそ大きい喜びとする今の浄土真宗とはいさ
さか違いがあります。彼は般若心経を積極的に唱え、講演でも次のように語って
います、


「そもそも仏教というものは、空(くう)を説いたものでありますから、空を知
ったものが智者であるわけです。


 今の浄土真宗は般若心経は唱えず、八十八ケ所めぐりにもよい顔をしませんが、
それに反して、大谷光端門主こそは、大般若経、般若心経を非常に大切にした人
でありました。仏教では般若波羅蜜多は「知恵」を意味し、その知恵を説く、「
大般若経」は仏典で最大の六百巻もある大作で、般若心経はそのエッセンスであ
ると同時に、長編につきものである不純物を取り去った珠玉の珠(たま)という
べきものであるからです。
 

 大谷門主はこの西域探検中の寂寞の境にあって、「耳に栓をされたような、凄
みのある静かさやなあ。こんな寂寞の中に身をおくと、知恵が空であるという意
味が、分かるような気がするよ。心を空にすると、このように身が軽く感じるも
のか」と述べたというエピソードが残っています。