美しい向津具(ムカツク)半島の棚田はなにを語る?

舞黒一太郎の優雅な電脳日記

   
目次 http://d.hatena.ne.jp/microititaro/20040911



 


 舞黒一太郎です。

山口県大津郡向津具半島、こには日本で二番目の規模の棚田があり、夕日に沈
油谷湾を背景にした景色は、まさに絶景です。しかしこの美しい棚田にも、悲
しいいわれがあることを知っている人はもうほとんどいなくなってしまいました。


 この地はもともと大内氏支配下にあり、毛利の勝利後もゆるやかな政策が続
いておりました。それが一変したのは徳川時代に入り、毛利が広島から国替えと
なり、この地を治めるようになってからです。NHKの大河ドラマ新撰組)で
登場してくる、桂小五郎吉田松陰などが輩出する「長州藩」がそれにあたりま
す。


 中国地方のみならず九州まで影響力を持ち、200万石といわれた大大名であ
る毛利氏が、中大名に落とされたあげく、国替えを余儀なくされ、体面は大大名、
さりとて家計は火の車といった状態に陥りました。


 そこで領民に対する年貢取り立ては熾烈をきわめ、酷いときは7割といった時
さえあり、農民の逃散があいつぐようになります。それに加えた新田開拓の一端
が冒頭に述べた棚田だったわけです。


 年貢を5割から7割もとられては生きていけません。いかに武士が自分たちを
外敵から守ってくれるといっても、そのために自分が飢え死にするのであれば、
守ってもらう必要などないのです。しかし逆らえば敵に向けられるべき暴力が自
分たちにふりかかるため、少しでも恩典のある棚田の開墾を熱心に行いました。


 またこの世は生き地獄、苦しいことばかりだ、死んだ方がよいと思う心に、お
坊さんの言う「南無阿弥陀仏を唱えれば、あの世では極楽へ生ける」という期限
のない約束手形はきわめて魅力的でした。したがってこの地には分不相応の、多
くの寺が存在しています。


 いま年金法案の審議が中途半端な形で終わっています。国がかかわる政策に収
入の5割を負担させようとやり方は、まさにこの長州藩の酷政を彷彿させるもの
であり、(こんな国いらない)、と言う方向にむいているようで、国外逃散者が
激増するかもしれません。