韓国、北朝鮮両国の英雄 安重根と日本

舞黒一太郎の優雅な電脳日記

   
目次 http://d.hatena.ne.jp/microititaro/20040911



 


 舞黒一太郎です。


 冬のソナタの影響で韓国旅行が大ブームとなっていますが、ソウルに行かれた
ときぜひ足を延ばしてほしいのが、ソウル市の中心南山公園の一画の旧朝鮮神社
あとにある、安重根義士記念館です。安重根は韓国、朝鮮の国民的英雄(安重根
ーアン,ジュングン)で、日本では1908年にハルピンで、伊藤博文を暗殺し
たテロリストとして知られています。


 しかし彼は単なるテロリストではなくて抗日運動の指導者であり、優れた知識
人でありました。旅順地方法院に収監され、死刑死するわずかの間に触れた日本
人の検察官、弁護士、看守達は、彼のもの静かな言動、その豊富な知識、理論、
国を想う憂国の志に深く感じ入り、厳しい日本政府の弾圧にもかかわらず、自ら
差し入れ便宜をはかりました。特に旅順監獄の看守であった日本軍憲兵の千葉十
七氏は獄中で安重根の思想・人格に感服し師と崇め、除隊後は故郷仙台で鉄道員
として勤めながら、安重根の写真と遺墨を仏壇に祭り、亡くなるまで1日も欠か
さず礼拝したほどでした。
 

 安重根はそれに対するささやかな礼として、看守、検事、弁護士に書を贈り、
ましたが、そのうちのわずかが残存しており、国宝の扱いを受けています。


 この当時、つまり明治37年以来、3次にわたる日韓協約を通じて、日本は韓
国の植民地化をすすめておりました。安重根は韓国独立のために侵略の指導者伊
藤博文暗殺を決行しましたが、それに先立つ明治42年7月6日、すでに政府は
韓国併合ニ関スル件」を閣議決定し、「適当ノ時期二於テ断然併合ヲ実行」す
る方針を確認していました。翌43年8月29日、「韓国併合ニ関スル条約」が
公布(調印は8月22日)され、同時に「日韓併合の大詔」が発布されました。
それは、大日本帝国の強大な軍事力を背景になされたもので、これにより大韓帝
国は地球上から抹殺され、その名称は朝鮮とあらためられました。ソウルには朝
総督府が置かれ、初代総督に寺内正毅が就き、以後35年にわたって日本の植
民地支配が続きました。


 韓国併合がすすめられた同時期、日本国内では大逆事件がでっち上げられ、当
時、日本でもっとも韓国併合に批判的だった幸徳秋水社会主義者が続々拘引さ
れ、安重根を死刑台に送った天皇制権力は、同じ手で幸徳秋水ら12名を絞首刑
に処したのでした


 私たちが習った中学、高校の歴史の教科書では、安重根は、単なる伊藤博文
殺のテロリストとしてのたった一行の記述でしかありませんでしたが、私自身、
その裏のドラマが理解できるようになったのはその何十年も後のことで、自分の
勉強不足には悔いが残ります。


安重根を調べていた小説家の人が、彼の書のある場所を新たに突き止めた記事
朝日新聞に掲載されましたが、それが私に関係のあるお寺であったのはまさに
奇縁です。


  広島県安芸高田市向原町  願泉寺

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安 重根


1879(明治12)年生
1910(明治43)年3月26日没
朝鮮の独立運動
左利き
カトリック教徒 学校を設立 義兵を組織
1909(明治42)年10月26日 ハルビン駅で前韓国統監の伊藤博文を射殺
 銃撃にはブローニング社製の自動拳銃(7連発)を用い、6発を発射
 その場で逮捕される
旅順地方法院で死刑判決をうける
1910(明治43)年3月26日 旅順監獄で死刑執行


安重根は、明治42(1909)年12月13日から翌年3月15日まで、旅順
獄中において自伝、『安応七歴史』を執筆した。