橋田さん達、イラク人質問題について

舞黒一太郎の優雅な電脳日記

   
目次 http://d.hatena.ne.jp/microititaro/20040911



 

舞黒一太郎です。


 自衛隊を撤退させないと、人質を殺す」と言われたら、人質の家族には、「自
衛隊を撤退させてほしい」という権利があります。そして国には「たとえ人質が
殺されても、自衛隊は撤退しない」という権利があります。通常このバランスが
絶妙に加味されるのが現実の政治なのですが、今の状態は戦前と同じ、自由にも
のが言えないカルト状態です。


 ただし今回、国はこうは言いませんでした。言ってしまって、国民の感情的反
発を恐れたのでしょう。「人質救出のための最大限の努力」という言い方で、根
本の問題のお茶を濁しました。すると、人質の家族の言葉だけがクローズアップ
されるようになりました。国は一生懸命努力しているのに、自衛隊の撤収を求め
るなんてとんでもない家族達、という構図になって、家族は大量の中傷の言葉を
浴びたのでした。


 考えてみれば、中傷の言葉を投げかけた人たちは、みんな、「国側の人たち」
となります。社会的とか職業的ではなく、心情的に「国側の人たち」です。国が
頑張っているんだから、文句言うんじゃないよ、というわけです。


 保守系の政治家がいつも、「日本は戦後の日教組教育で、”権利”ばかりを主
張して、”義務”を忘れた若者を作ってしまった」と言いますが、そうではあり
ません。日教組だけでなく国を挙げて、「やさしさを忘れ、自分でものごとを考
えようとしない馬鹿と、失敗しても謝らない厚顔な無知な人間を量産した」こと
が問題なのです。


 今回の場合、大新聞を中心とするマスコミと国民は人質の家族の要求という「
個人側の人たち」の言い分を拒絶して、「国側の人たち」の意見に賛成し、権利
より”義務”を支持しました。


 政府関係者が、人質の家族の「撤退発言」に怒って、「自己責任、自己負担」
を言い出したのは国側の立場としては間違いありません。問題はそれに対する家
族側の「家族を助けてほしい」という「論理より感情」の”権利”に対して、国
民の多くは国側を支持したところにあります。


 「国側の人たち」という言葉は、個人より公のもの、つまり「世間体側の人た
ち」とした方がわかりやすいでしょう。グループの決定に従うのも、つるんで行
動するのも、結局は、「世間体側の人たち」に自分を置くことです。この立場は
強い側にたつため、いつも正しく、楽で、主流を形成します。しかしそれは正義
や真実とは無関係であり、個人の”権利”より、”義務”を強要しているという
ことに留意する必要があります。


与謝野晶子 君死にたまふこと勿れ

あ々をとうとよ君を泣く
君死にたまふこと勿れ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて
人を殺して死ねよとて
二十四までそだてしや