韓国の経済を3年で立て直したしたIMFの手法

舞黒一太郎の優雅な電脳日記

   
目次 http://d.hatena.ne.jp/microititaro/20040911



 

 舞黒一太郎です。



 日本の経済が史上最悪となった今、IMFによる日本審査がほぼ決定しました。(官と金融機関の癒着と腐敗)、(構造改革が必要なのに出来ない)これらは6年前の韓国とまったく同じです。ここで屈辱のIMF管理を受け入れざるえなくなった韓国が、この外圧を利用してわずか3年たらずで立ち直りました。累積1000兆の借金を持つ日本とは規模がちがい、資産カットなど対策も変わってくるとは思いますが、この際IMFと韓国の事情をじっくり研究することは大切だと思います。


 1997年当時、韓国の外債は9月末で1,200億ドル。そのうち満期が1年以内の短期債務が、660億ドル(55%)を占めていました。こうした短期債務の「取り付けラッシュ」によって、韓国の外貨保有高は200億ドルを割る水準の額となり、遂に11月21日、緊急支援としてIMFに200億ドルを要請し、「経済進駐軍」ともいうべきIMFを97年12月10日に受け入れました。

まずなぜこのような事態を招くに至ったかということを考えてみましょう。まず南北対立で部不相応な軍事費を抱えている事情があります。国費のほとんどをこれにあてている北朝鮮よりはましですが、常に緊張状態にある現場を抱えている国としては、平和な日本に比べ辛い所です。次に韓国国民の消費パターンが勤倹・節約には程遠い、過度の浪費型であり、年8%を超える成長率のもと、バブルに汚染されていたことです。日本に追いつき追い越せのかけ声とともに、対外的にも世界の一流国への仲間入りをめざし、1996年には経済協力開発機構(OECD)の正式会員に加入をしました。これが今回の悲劇の発端になったわけです。(これは金融関係の国際化をあせった日本についても言えることです)




 当時の韓国の経済システムは、植民地時代の影響を引きずっており、かなり今の日本と似ていました。構造改革をしなくてはならないのに、なかなか実現しなかったのは、政治家や官僚、軍人などのいろいろな利権が複雑に絡んでいたためです。また財閥企業に対し、金融機関が厳しいチェックを行っていなかったことも大きな問題でしたが、銀行は充分な監査権限を当局から与えられておらず、「官治金融」と呼ばれるように韓国銀行(中央銀行)を始めとする各銀行は、人事などあらゆる面で政府の統制を受け、独立性が保障されていませんでした。



 世界貿易機構(WTO)加入と経済協力開発機構(OECD)の正式加盟国の選定は、結果的に国内市場に対する外部の圧力を受けることになりました。その結果、輸入の増加で1996年には貿易赤字が 206億ドルまで達し、国内企業体は次第に今まで政府の保護下にあった国内市場の占有率の相当部分を外国に譲らなければならなくなり、海外企業体の韓国市場参入ラッシュがはじまりました。この行く末がIMF受け入れというわけです。


IMFが韓国に命じたのは



1.外国人による株式投資限度を現行の26%から年内に50%、来年(1998年)には55%まで拡大。


2.外国人による国内金融機関の合併・買収を認める。


3.金融改革法案(韓国銀行の独立性保障と統合監督機関の設立が骨子)の年内処理。


4.短期債券市場の早期開放。


5.税収の拡大と支出の削減による財政黒字の達成。


6.輸入先多角制度(日本製品を対象にした輸入制限:1999年末に撤廃予定)を、来年早期に撤廃する。


7.来年度の経済成長率をGDP(国内総生産)の3%とする。


8.98、99年の物価上昇率を5%以内に、経常収支赤字はGDPの10%(約50億ドル)以内とする。


 上記の条件を付けてIMFは210億ドルの直接支援を約束しました。その他に世界銀行100億ドル、アジア開発銀行40億ドルの融資、日米など7ヶ国による220億ドル(日本は100億ドル)の支援ワクが設定されました。総額570億ドルに及ぶ支援は、94年メキシコへの支援額(500億ドル)を上回る史上最大の規模です。


 乗り込んできたIMF、は政府、金融機関、財閥企業が一体となって行ってきた放漫な経済運営をまったく信用しませんでした。特に7月中旬、基幹産業ともいえる起亜グループが倒産した局面で、韓国政府の無策ぶりはひどく、これを見て危機を認識する能力も、問題を解決する能力もないと判断したからです。口では市場経済を言うものの、実質的には官僚による経済支配を続けようとしていることを見抜いており、いかなる韓国の要求も耳を貸さなかったわけです。したがってロシアなどIMFの支援金を受けた国のなかで、唯一韓国だけが監視国家に指定されたのでした。



 IMFの要求する案は、「お金を貸してやるから生活を切りつめろ」ということであり、さらに劇的な(官及び金融機関)のリストラ、経済開放、規制撤廃です。これに対しバブルに染まっていたマスコミや政治家、労働組合などから、いっせいに反対の声が上がりました。8%の経済成長が予測されていた韓国経済が、来年にいきなり3%成長に下がれば、解雇や倒産が増えてしまう。企業の利益や国民の所得が減るため、緊縮財政を敷いたとしても、税収の落ち込みをカバーできず、増税が必要になる可能性が強いというわけです。しかしIMFの態度は厳しく、毎日のように株価が急落する中で続けられた交渉の結果、ついに韓国政府はIMFの条件を全面的に受け入れしました。これをまのあたりにして、ただでさえプライドの高い韓国の人々は、国辱として大いに怒り、政府を攻撃しました。



 しかし恐るべきことにIMFはわずか2週間で、韓国政府がそれまで進めてきた経済改革の、過去の約1年分以上の改革を決定してしまったのです。その結果、政府は国民からの抵抗を受けながらもIMFより提示された改革案を真剣に取り組み、IMF支援から3年ぶりの2000年にはIMFよりの公式的に監督下からの脱出し、今年8月、正式にIMF管理から開放されました。



自分の力ではどうしょうもなく、すべてIMFという経済進駐軍による、外圧の力を利用したとはいえ、この間、韓国政府はあらゆる金融,企業,公共部門を先進形の構造に変え情報通信,インタ‐ネット,観光産業などを国家基幹産業として発展させる同時に、ベンチャ‐産業を集中育成して先進形の勤め先をすべての国民に提供するというプランを一つずつ実行していきました。この間、IT)という追い風が吹く幸運もありましたが、このつらい期間のひたむきな韓国国民と、政府の努力が、このようなよい結果をもたらしたのだと思います。




 IMFは、貧しい者たちの食べ物を残らず持ち去る借金取り’、IMFは、経済的に苦しい国を援助するための慈善団体ではありません。IMFは元来、ドル中心の世界経済秩序を維持する目的で、アメリカが主導して創設した機構です。IMFの活動はアメリカの影響下にあり、アメリカの利益が貫徹されるように行われてきました。IMFの会員国(181ヶ国)は株式会社と同じように資本金を供出し、その額によって株主権投票権)を行使します。IMFの総資金は1,976億ドルであり、米・日・独・英・仏の上位5ヶ国が40%近くを占めています。アメリカの持ち分は18.25%、日本とドイツはそれに次いで各々5.67%の持ち分です。ただIMFの総資金はの2000億ドル(25兆円)程度であり、天文学的負債を抱える日本やアメリカの支援をおこなうにはまったくの力不足です。


 そして、IMF理事会の議事決定事項のうち、持ち分や協定の変更などの重要事項に関しては、総持ち分の85%以上の賛成が必要となっています。つまりアメリカは、IMF理事国のなかで拒否権を行使できる唯一の立場にあり、事実上IMFを支配している国家と言えます。韓国政府とIMF間における融資条件の協議に際しても、アメリカが背後で絶対的な権限を駆使しました。国家の予算と租税に関する問題は、重要な政治行為と言えますが、税金をいくら集め、それをどのように使うのか、政府ではなくIMFに実質上の決定権があるとしたら、国民福祉のために使うべき税収を借金の返済に充てるように指示されても、それを拒否することはできません。