アインシュタインと般若心経

microititaro2005-03-02

舞黒一太郎の優雅な電脳日記

   
目次 http://d.hatena.ne.jp/microititaro/20040911



 ●アインシュタインと般若心経


  舞黒一太郎です。


 前の文章で、般若心経の「空(くう)」を、本来の意味の「ゼロ」として解釈しなおしてみると、人を救う道が、従来のものとはやや違った切り口で浮かび上がると述べました。これはアインシュタイン博士の持論であった「私は宗教的な人間で、宗教的な雰囲気は好きなのであるが、神の存在は認めていない不信者である = religious unbeliever」の境地とよく似ています。



 数字のゼロは、いくらゼロを足し引きしてもゼロです。つまり力がないものがいくら集まっても何も役に立ちはしません。
 逆に実体のある数字にゼロをいくら掛けても、ゼロのままです。力のあるものが力のない者と組んでも、なにももたらしはしません。
 またいかに大きな数字であっても、分子がゼロであるならばゼロのままです。どのように優秀で大きな集団であろうとも、抱える指導者の能力がゼロに近ければ、なにもできはしないということです。
 ところが小さい数字、かりに1であっても分母が限りなくゼロであれば、それは無限の大きさとなります。つまり限られたものであろうと、分配する集団、もしくは要求が小さければ、すべてを満足させることが可能となります。


 生まれた時も一人、死ぬ時も一人であり、ゼロからゼロになるだけです。唯物的な神や仏はなく、あるのは、真実という大自然の掟があるだけです。人間の命は朝露ほどにはかなく、死への恐れから心が乱れ、なにかに縋りたい気持ちとなりますが、なにかにたよって人の求める桃源郷へは行くことは出来ません。


 仏教の宗教家は、人間としての最大の幸福は。お金でも、名誉でもなく、「成佛」することと説きます。「そこには御仏をはじめ、先祖、友人がおり、仲良く、何不自由なく暮らすことの出来る。人間として成佛出来ることほど素晴しい幸福はない。そのためには雑念、邪悪な他の宗旨を捨て、わが宗派に帰依し、すべてを捧げよ。さもなくばさまざまの悪、災難が押し寄せる、言い換えれば、もし貴方の廻りに悪事、災難が押し寄せているのであれば、わが教えに従えばたどころに消散する」と言います。そして桃源郷の素晴らしさと、成仏へのノウハウを教えてくれるのです。


 しかし般若心経ではこの全てを否定し、悟りの境地である彼岸を目指すものは桃源郷への約束手形の成仏ではなく、感情的なものを廃して真実を見つめ、真実を知り、ものの哀れをわきまえて生きることこそ大切だと述べているのです。いかなる富を得ようとも、いかなる力を持とうとも、それ自体に意味はなく、そんなものはすぐに無くなるものであり、また少しの蓄えであっても、多くの人を救うことが出来ることを述べており、「今を生きている人」に物心(仏心)にわたる生活方法を教えています。その悟りの境地を「彼岸」と呼ぶことにし、これを知り、実践し、みんな、みんな、共に彼岸へ行こうと述べているのです。